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そこそこ働き、そこそこ稼ぐ

今の私の暮らしは、そこそこ働いてそこそこ稼ぐというスタイルに落ち着きました。
女の人生40年。まあ色々紆余曲折ありました。みんなもそうでしょ。
色んなこと試してみて今の状態に落ち着いてみると、ずっとこのバランスを探してたんだなーと思います。

仕事とお金のことを考え始めたのは20代の頃。
働くのは好き! でもなんか上手く働けない。ストレスが多くて、生活と気持ちとバランスとるのが大変でした。
ストレスになるのは、通勤、人間関係、拘束される時間、将来への不安(この事務仕事上手になって、将来につながるの?)などなど。
働けばお金になる。お金がないと生活できない。でも働くとストレスもある。そのストレスを解消するのにまたお金がかかる。

フリーターだから? とも思ったけど、大手の会社勤めしてる人も、公務員の友人も結局同じこと言ってる。TVでは過労死が問題視されてる。ひー死ぬまで目いっぱい働くなんて無理! 世間一般でいう「ちゃんとした仕事」したって上手くいくとは限んない。「ちゃんとした仕事」は目標にもならないし、これで解決もしないと理解した。

仕事してストレス溜まるのは当たり前。そんなもんだよ。とも言われたけど、私はどーしても嫌だった。
そこで発想の転換をした。ストレス解消にコストがかかるのなら、初めからストレスレスの仕事につけないかな? ここでいう。コストとは「時間とエネルギーとお金」でした。
ストレス解消のために目新しい物を探し続けなきゃいけない、それに疲れてきた。遊ぶことが消費のままだったら、私はこれからもずっと時間とお金を消費し続けるしかない。なんかそれって不毛じゃない?
そもそも使う額が減らせれば、沢山稼がなくても大丈夫なんじゃない?
じゃあ、働くこと自体が遊び感覚でストレスの溜まらない(それかすごく少ない)ものになれば、給料が低くてもやっていけるんじゃない?
という仮説を立てました。当時これは友人知人にひじょーに、不評でした。

理想は自給自足。でも東京から離れたくない。うーん、矛盾してるな。
東京で完全自給自足は無理だけど、一部だけでも自分の手で生活を作れたらそれは一部自給自足になるんじゃない?
衣食住の、食と住ができれば一番。だけどどう考えても肉体労働で、知識も経験も必要で素人の私には無理。
裁縫は好きだから、なんかこの延長で考えられないかな? でももう、日本で縫製工場はほとんどありませんでした。そこで、東京で裁縫好きが生かせる衣の仕事は、お直し屋でした。それでたまたま見つかったのが、ニット服の修理屋でした。
その後、自営業になって技術と生活がリンクすると、私の仮説はぴったり! 生活のコストは下げられました。

技術だけでは、下げられません。自営をすることで、生活と重なる部分が増えたからです。それと資本主義への理解。そこにもまた説明があるのですが、それはまた、別のお話。

そして絵のように、今私はそこそこ働いてそこそこのエネルギーを使って、エネルギーを残しつつ、お金も残る生活になりました。
正直、20代の頃理論立てて目標立ててた訳じゃないです。実際は行き当たりばったりでした。でも20年を思い返すとコストを下げてたくさん稼がなくてもいい生活を作ろうとしてたなー。と思うのです。

たぶん私を通じてお金が入って、お金が出る方が経済にはいいんでしょうね。
でも日本の経済より、まず自分の幸せですから。
そこそこ働くコラム

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