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自分の手で生活を作れる を大事に

私は、BLOGのコラムのなかで裁縫や修理についてだけでなく、DIYについても書いています。
子供向けの手作り工作、はたまた足立区生物園でのお土産作成もしています。
すると「何がしたいのか解らない」と言われることがあります。時には、わかってくれる人もいますが、少数です。
ほんっと数人です。
そこで、あえて書くことにしました。
それは、「自分の手で作る」です。

「自分の手で生活を作れる」を大事にしているからです。

その理由はいくつかあります。



ひとつめの理由は、沢山稼げなくても支出を減らせれば、生活できると思っているからです。そもそも、修理の技術を手に入れる動機がそうでした。ニットキュアの経営方針も「事業は小さく作って、小さく育てる」です。同じ動機なので、公開しています。



次の理由は、身近で学べる方法だからです。
私自身が座学で学ぶのが苦手だからかもしれません。知って、見て、手を動かして、体験をして、納得する。それが学びになる。
時間はかかるし、面倒だけど、その過程を経ないとどうも理解できません。でも学びのためだけにコストを費やすような余裕もありません。
そこで、生活のなかに手を動かす作業を組み込んでいます。これどうなっているんだろう? と思ったら、生活の中に組み込めないかを考えます。綿をベランダで栽培したのもその一貫です。綿については本の知識があります。綿から糸をよることもできます。でも足りないと思いました。だから実際に育ててみました。育て方を調べるところから、私には学びです。ベランダで育てられることから、いかに手軽な草かがわかりました。東京で育つということで栽培地域もイメージできます。実際に出来上がってみると、ただ種の回りにほわほわとした毛がついていました。偶然そんな植物があった。それを人類が利用したのだと腑に落ちました。
その繊維は短く柔らかく、少し植物の油がついてます。それを感じてから綿の服を着ると少し考え方が変わります。
工業製品としても面だけでなく、自然の恩恵という側面を感じます。ここまで沢山生産できるようになるために、人類はどれだけ苦労を重ねてきたんだろう? 歴史を通じて途方もない手間を感じます。

なんで学ぶのかは、その方が面白いからです。
手を動かして経験をすると、勝手に学びになります。知ると、世界に奥行きを感じるようになります。
その面白さが生活の延長で手にはいるし、ひいては仕事にも役立つ。
だからやっています。



みっつめの理由は、ちょっと言いにくいのですが…
資本主義を信じきれていないからです。
ニットキュアの事業は、資本主義のお世話になっていると思っています!
この便利な生活も、安全安心な今の日本の暮らしそのものが、資本主義の恩恵に預かっていると思っています。
経済を学べば学ぶほど、現代は資本主義の土台の上になりたっていると感じます。
でも、心のどこかで信じきれていない。これが本当に続くのか? と心配になることがあります。
その心配を解消するために、お金に頼らない生活力をつけようと努力しています。
お金も必要、でもお金がなくても、生きていける安心感が欲しい。
リスクヘッジです。この考え方自体が投資用語なので、矛盾してしまうのですが。



これらの理由から、「自分の手で生活を作れる」を大事にしています。
そして、そこに関係した経験を、BLOGという形で紹介しています。
無理のない学びの形。今時のコトバで言えば、サスティナブルな学び。
お金に頼らない生活力。それをまさに、自分の手で手に入れる。そんなつもりでいます。

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